平成から令和になったゴールデンウイーク以来の帰省
今年の正月は、やっておきたいことがあった
普段は、今年80歳になった父と78歳になる母との二人暮らし
元旦の一日は、子どもや孫が集まる年に一度のとき
ひと月前、高知に住む父の妹が亡くなった。両親も高知に来た
おばは、わたしにとって高知に住むたった一人の身内で、保護者的立場になってもらうことも多かった
わたしは、このおばをとても尊敬し慕っていた
おばは、がんを患って
告知通り1年足らずで静かに亡くなった
静かに…
苦しむ時間はなかったかもしれない。最期まで2階の自分の部屋から、階段の上り下りを夫の介添えでトイレにも行っていたという
世話をしていた夫の方が入院することになり、かかりつけ病院に相談し、そのまま受け入れてくれての入院だった。そこから1週間くらいのこと…
おばは、最期まで立派だった。もしものときは、誰に連絡をしてほしいのか、そのときの着物、葬儀はどこに頼むのか…日記もつけていた。息子のお嫁さんにはノートが手渡った。そして、元気な時は、かいがいしく支えていた夫の分も、同じように準備をしていた。自分が逝ってしまった後、夫が困らないように
わたしたちは、このおばの死からたぶん…多くのことを教わっている
正月実家に帰ったら終活の話をしよう、そう思いながら数年スルーしていた…
そして、今年
元旦には、新年の挨拶をし、その日の夜にはみんな引き払った。
翌日、母は仕事に行った。家に残った父は、洗濯ものをたたむわたしに話しかけた。
弟が父に仕事の相談をしたらしい。「昔とは時代がちがうからなあ」「わしらは、生きるのに必死やった。そんな時代とは違う。わしら、もう現役ちゃうし、助言もようせん」そう言って笑いながら、わたしに昔話をした。
わたしは予定があって、出かける時間が近づいた。
とある葬儀会社がレクチャーしている「終活について」の冊子、医療に関する事前指示書を渡した。
とりあえず、目を通してみて。今、お父さんが話してくれたみたいなことも、そう。残った人に引き継ぎたいもの、そんなことも、元気な今から考えといて欲しい、そう言って。
終活については、意識をしていたようだった。この1年のうちに、長男である弟に、大事な書類の場所は伝えたと。
また見とくわ、ありがとう。
次に、話すのはいつだろう
手渡すだけでよかったのかな、
少しずつだけど、家族で終活について話し合う時間を持つようにしていこう
これからどう生きるか、につながっているから
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