病院コミュニティナース わたしの情熱と地域のニーズの重なりで

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先日、とあるご縁で対談インタビューがあった(#^^#) 絶対、聞かれる「コミュニティナースになったわけ」

個人的な理由「わたしの情熱」と病院が必要としていた「地域のニーズ」が重なって、今のコミュニティナースのカタチができてきた

病院は、「病院」という敷居の中だけでなく、地域に出て行く必要性を感じていた。なぜか?


入院を機に、家では暮らせない高齢者が増えていた。病院で私たちと出会うもっと前から生活できていなかったことがうかがえた。地域に住む高齢者やそれを取り巻くまちの実態を知りたかった

なぜ病院が?

地域に帰れないのは、加齢で動きが悪くなる高齢者自身の問題なのか?支えるチカラの問題なのか?

支援がもっと手厚かったらいいのに、と感じた。介護保険サービスを使わない結果人の目が入らない間に弱って入院してくるのは仕方ないことなのか

で…、

病院から一歩も外へ出ず、地域の現状を知ろうとせず、住民に「しっかり自己管理して」地域の支援者に、「ちゃんと支えて!」と注文をつける⁇

自分たちが敷居を越えて飛び出してみよう。そんな時に、コミュニティナースという書籍と出会った。

制度に縛られない専門職「コミュニティナース」として、地域にでよう。地域と仲良くなろう。病院から地域に裸で飛び込み、その感触をありのままに感じよう‼

わたしには、看護師として25年やってきた中で、ずっと変わらぬ問いがあった。

わたしたちの提供している医療は、目の前の患者さんを幸せ(笑顔)にしているのか?

大阪で大学病院を中心に15年ほど働いた。人を笑顔にできると看護師になったが、あまりにシビアな治療は患者のからだと心を痛めつけることも多かった。私たちが看護師として、医師の考える治療をそのまま真面目に提供しても、患者の笑顔はみられないと知った。

「ともに笑顔になる」医療を求めていた。医療への万能感があったのだと思う。自分が、医療が、無力だと感じた。

わたしは看護師として誰かの役に立てるのか?人的にも物的にも資源のないところで自分のチカラを試してみたいと思った。

「医療のないところに医療を届ける」そんな謳い文句のNGOに所属し、Myanmarでの医療支援を行った。患者は、日本人医師の噂を駆け付け、長年の悩みを解決してもらおうと何日もかけて来院する。自分を苦しめたそれぞれの問題から解放されるために、家族で来院し何日も待機する。残念ながら、期待通りにならないこともあるが、医療のゴールは、「患者の満足」だった

なんども手術をしたがうまくいかない子どもがいた。母親は手術の度に期待と失望を繰り返した。医師は、決断した。患者の患者の満足のために日本で手術をして完治させよう。

Myanmar人の親子を連れて帰国途中に、日本で地震と津波のニュースを聞いた。東日本大震災だった。無事、岡山入りでき、手術の段取りは進められた。部屋のテレビは津波のニュース一色だったので、子どものためにアニメのDVDを借りた。日本が困ってる‼ NGOの方針で、わたしは被災地に行くことになる。

そこで必要とされたのは、阪神大震災の時のような救助活動ではなく、命を取り留めた人たちの暮らしのサポートだった。気仙沼のお寺に「仮設診療所」として拠点を置くことが出来た。避難所生活や災害への不安のやストレス、不眠、食事の偏りや薬が継続できていないことによる血圧や血糖の変動が多く、健康問題が暮らしと切り離せないことを知った。

患者の満足のための医療提供とはなにか?

人々の暮らしや人生に貢献できる医療者とは?

わたしは『コミュニティナース』という新しい名前をもらって、病院から出て行くことにした。

自らの問いを持って、地域に飛び出す実証実験の始まり…✨✨

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